今から三十年前のこと
長かった昭和から平成に変わり、皆がようやくその年号に慣れ親しんだ頃
浮かれ切った日本経済好景気が崩壊していく頃の事である
携帯電話もインターネットも世間には普及しておらず、ポケットベルがせいぜいで、
令和に入った今とは若干時代が違うかも知れない
あえて『若干』と言ったが、個人個人の内面を観ると、そう変わりは無いのじゃないかと思うからだ
とは言え社会の体制や価値観は随分と違う様に感じる
なので、その体制の中で育つ社会の人達の考え方は大きく変わって行くだろう
そんな頃、今から三十年前、
世の中は、戦後復興期の社会で鍛えられた人達が最前線の時代だ
私は十八歳であり、社会へ一歩踏み出した瞬間であった
植木屋初日
1日の仕事が終わり店(事務所)に戻ると、その人は椅子に腰掛けていた
おかみさんが言う
「この人が番頭さんやでぇ、」
「よろしくお願いします 塩野です」
私は緊張して挨拶をした
チッと、こちらに目を向け
「あぁ」
微動だにしない
白いハンチング帽を斜めにかぶり、一重瞼の目尻はスッときれ、力強い顎でタバコをかみながら吸っていた
その凄みは、職人そのものを感じた
怖い
これが職人の世界か、体がピンっと引き締まる
番頭というのは、親方の下で現場を直に仕切る役である
よって小僧は、この人に鍛えられる事となるのだ
仕事中、表面的に歩み寄ってくれることは絶対に無い
甘やかされて育った世代には苦しい事である
「何ヨォ あれ持ってこい」
何だかわからない、誰を呼んでいるのかも分からない
とにかく、それらしい物を急いで持って行く
「アホかぁ アレやぁ」と、怒鳴られる
勘のいいヤツだけが伸びていける
「見て分からんモンに 言うてわかるかぁ」で、しまいである
「ボーッとすなっ 気 入れぇ」
しかし一服となるとコロッと変わる
人をおちょくり、己をおちょくり、テンポ良く現場が和やかになり笑いが生まれる
現場内で石や植木などの荷運びは肩で担ぐ
荷を綱(ロープ)で廻し、それを棒に渡し、その棒を担ぐ
時代劇に出てくる籠屋の様な感じ
「早よぉ棒入れぇ」
「棒がありませんっ、向こうです」
「何しとんねん それでええわぃ」
カナテコ
岩をこじる鉄棒だ
ちょうど学校の鉄棒ほどの長さ太さの鉄棒を思い起こしてもらいたい
「早よぉ腰きれぇ」
きれるわけがない
ただでさえ重いのに金テコが肩にくいこむ
「早よぉきれぇ」
全く体の出来ていない十代の小僧には酷だ
必死に腰をきる
グググっ
なんとかきった姿は、今見ればヨタヨタであったであろう
それに、その荷自体たいした重さでもなかったのかも知れない
ところで『腰をきる』とは、腰を入れて立ちきる事だ、腰を入れないと歩いて荷を運ぶことができない
「ほれぇ、痛ないやろぉ」、と言いながら荷を揺する
「うっ 」
荷を運びきると肩がジンジンする
次の荷は更に痛く重く感じる
そんな事を繰り返しているうちに体が出来てくる
肩は、もう痛くない
体全体で荷を担いでいる
「ワレのぉ チビやさけ人より先 腰きれぇ」
少しずつ強くなって行く
今の時代見れば随分と酷い鍛え方だ、私にとって30年前は、ついこの前の事だ
今 三十歳に満たない人たちからすれば、こんな時代があったのかと上の空で感じるであろう
思い返せば十代の頃、年上の社会人が『大学紛争』の話をよくしていたが、私は実感なく上の空であった
彼らからすれば、ついこの前の事であったのだと、今になれば理解ができる
それが時代背景が持つ価値観ってやつなのであろう
そしてこの頃、しっかりと人を鍛えようとすれば、これが当たり前であった。
京都は奥行きのある建物が多い
建物の中を行く事もある
何百キロもある沓脱石を六枚(6人)で担ぐ事もある
中だ、途中で休めない
「ほれぇー いけぇー まだヤァー」
「よっしゃー!」
その様は真剣勝負、神輿の宮入り絶対連帯
「星が出るまで担げ」と言われている
荷を下ろした後、頭の上にチカチカと星が出た「これかぁ!」
スピード感も凄まじい
「ゆっくりなら素人にもでけるぅ、プロやったら早よぉ美しゅうせぇ」
一服の時間、お施主さんと番頭さんが喋っている
「番頭はん 自分で店しはらへんの」
「何を言うてますのや、一生丁稚でっせ」
決して前に出過ぎず、親方を立て、現場を締める
厳しくて、お茶目で、全くもって筋が通っている
その人は何人の植木屋を育てたのであろう
そして何人の日本人を生んだのであろう
ヘトヘトになっている時、ポロッと言われた
「ワレのぉ 雑草の様にならなアカンでよ、踏まれても踏まれても、のぉ 」
- 2021/11/01(月) 04:48:20|
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職人について考えてみる
職人とはそもそも何であろうか
物を作る事で生業とする職業、手に職を持つ人
一概に言えば、そうと心得る方が多いのではないか
しかし そんな事ではないように感じる
昔 習いの時分に言われた
親方が「カラスの嘴は白い」と言えば若衆は「はい 白いです」と答えるものだと
今言えば、あまりにも非道徳な事であるが、それが職人道であった
そうでなければ成り立たなかったのである
その筋の中で生き、型を追い続けるのが職人であったように今になり感じる
永六輔が言うに、職人とは職業のことを言うのでなく生き方のこと
そうなのだ
親方の教え、先代からの言い伝えを守り続けていくのが職人であり
出来たモノで語り、そのモノこそが存在なのであろう
であるから自分自身に意味はなく、出来たモノに意味があると言うことだ
それ以外に説明はない
説明があるとすれば、そのモノを必要とする使い手の方がするのである。
「この家は200年前に建ったけど、何の歪みも出ない」
「うちに代々伝わるおせちの重箱は美しい。自慢の宝だ」
「この炭は火持がいいねえ」
「親方から譲り受けた鏝使うとよお、ネタが喜ぶんだぁ」
これは、左官屋さんが自分のことを自慢しているわけではなく、親方の道具を譲ってくれたこととそのコテを作った鍛冶屋さんの腕を自慢している様子だ
職人は本来自分の腕を語る暇などなく、作るのに徹し
また、語るなど野暮な話であったはずだ
その昔は、独立独歩で歩くことなど出来なかったと聞く
一人で仕事が取れるものでは無く、筋という信頼の中に生きる道があったのだろう
だから、余計なことを考える必要がなく ひたすらになれたはずだ
ひたすらに腕を磨き、出来栄えと速さが物語る
そして、その中でもさらに優れたものが、今も残っている
今はどうであろうか
考えれば語っている以上、もはや私は職人ではない
せっかく生きているのだ
その道を呼び起こしてみたい
そうだ 早くひたすらになりたい
- 2021/01/17(日) 14:48:18|
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道とは歩いていくものである
道とは大切な物事を繋ぐものである
山道、街道、参道、習い事の道や人の道
よく聞く話だが、それには近道はなく、曲がりくねり登ったり下りたりする。
なぜだろう
それは大切だからである。大切なものを削ったり埋めたりしては道ではなくなる。
それだけのことじゃないか。
古い農村を歩く
山の縁を川が流れ、またそれに合わせ平らな所に田畑が耕され、場合によっては野を作る為、石が積まれている。
山の麓というのは、必ず出入りを繰り返している。
入り組んだ谷地は水が染み出し、湿気がある。
山水はそこから染み出し、次の谷へと集まり川になる。
そして山の張り出した、落ち着いたところに旧家があり、
そこから下ったところや、畑の端に新家が見える。
そして旧家より高い、土地の良いところにお寺があり、その奥に社がある。
道は田畑を巡り旧家へと続き、やがて社や寺に向かう。
山のなり、川のなりに合わせ巡っている。
時には山は崩れ川は溢れ人の命を奪う恐ろしい自然でもあるが、
本来、たくさんの生き物と同様、山や川がないと人も生きてはいけない。
そして人は集まり力を合わせないと、なかなか生きていくのは苦しいものだ。
そのために社寺がある。
その大切な、なりに合わせ道は巡る。
道は村から街へと向かう。
尾根道であったり、川伝いであったりしながら、街道につながり宿場町を通り、
街へと向かう。
その場その場の大切なモノのなりに合わせ、巡っている。
ところがどうであろう
現在、その様な道は見当たらない。
道は無くなり、真っ直ぐな道路になってしまった。
もしかしたら道路さえ使わなくなっているかもしれない。
何故だろうと考える
人が偉くなってしまった、人が大切になり、個人のなりで動いている。
目の前の大切なモノから目を背け、個人の都合でまっしぐらになっている様な気がする。
これで良いのかな
大丈夫なのかな
本当に大切なモノが見えなくなり、気にしなくて良いことを気にしている様にも感じる。
道はどこへ行ってしまったのか
曲がりくねった道を探す事にしようか
- 2020/09/15(火) 06:00:36|
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文化とは共感である
先日、ある講座を受けてきた
数寄者の庭園講座だ、普通では拝見することの出来ない大邸宅
明治時代に建てられた邸宅で、建物も庭も夢の世界だ
広大な敷地に伸びやかな日本建築
日本の建築 庭を学ぶ者でなくとも心を打たれてしまうであろう
そんな中、何の違和感もない完璧な空間の一角に、とてつもなくアクの強い場所が現れた
その場をしつらえた作家職人が説明をしていた
何でこんな風にしてしまったのであろう。私は息苦しくて、その気を感じぬよう そっぽを向いていた
それだけ見ればすばらしい物だと思うが、この景色に全くそぐわないのではないだろうか
意味がわからず、全く持って気分が悪くなった。ついでにその作家職人に対しても気分が悪くなる
見学が終わり、教室で講義となる
その作家職人も出てきた
何を話すんだか変に興味が出る
「私が監修の先生から、今回のお話しをいただいたときに驚きましたが、ひとつやってやろうという気になりました。
私の存在を示す、残す大きな時・・・」
そのまんまじゃねえか、本人そのものが出すぎだ
「実はこう言うことをこんな場で申し上げるのもどうかと思いますが、必死に作りその場におさめたら、私はこれで良かったのかと言う気になりました。自分が出過ぎている。先生はこれで良いのですよとおっしゃいましたが、私は今もそう感じています。」
この人は気が付いていたんだ 苦しんでいるんだ
こちら側と同じ一人の人なんだ
しかもこんな大勢の場で発表している
勝手な話だが、一気に親しみが湧いてきた
明治期に施主を始めたくさんの人の思いで 邸宅が建てられ、太平洋戦争を乗り越え、持ち主を変えながら、今ここにある
そして また新たに化粧をされ、時を重ねていく
そこには 様々な思いも重ねられていく
苦しみ 感激を
あの場所が良い物なのかは、私には今も良くわからないが
今 私は大いに共感をする
まさに あの場の思いこそが、日本の文化 そのものなのではないだろうか
- 2017/09/24(日) 00:00:00|
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あれから 2年半の月日が流れた
古来、ヒトは 心 という物を手に入れたのが、始まりなのかも知れない
数千年前なのか、はたまた数万年前なのか いつだかは知らないが
大きな心を持つ物が、村という物を造り、そして国を造っていく
そして その中には、たくさんの小さな心が生まれていく
心は 無いものを追い求め、またそこから逃げていく
人類は心と言う物と、ひたすらに もつれ争っているのかも知れない
がんばれば がんばるだけ、何かから逃げたくなる
私も、もちろん例外ではない
仕事の現場では、ねつこくがんばる
すると酒を飲む
酔えば 面倒なことは後回し
これでは良くないな
ある方に教わった
「一点集中 先延ばしは無し」
いやはや 逃げております
ある仕事の仲間がいる
弟のようなヤツだ
素直で、手先も器用 よく働く
難しい現場も快く働く
しかし
しかしである、幾分するとふっといなくなる
張りつまるのであろう
張りつまると、その場から逃げる癖を持っている
そう
少年野球の厳しい練習から、ふっと立ち去るそれだ
そんなこんなでも良く働いてくれていたが
ある時、彼はふっと姿を消した
思うところがあるのだろうと、そっとしておいた
もう しばらくは姿を現さないだろうな
彼のすごいところは、自分の癖を知っている事だ
苦しいことから一度は逃げるが、ひとつ間を置くと、また挑んでいく
何に挑んでいくのかは、本人にも誰にも分からない
分かる必要もない
うわさを聞いた
随分と厳しくがんばっているなあ。
私は安心していた
何処だっていい 曲がっていたっていい
ヤツは自分に向かっているだろうから
それは わかる
ある時 ふっと縁の波を感じた
心が落ち着いてきたのかな
あれから 2年半の月日が流れた
ふと やって来た
まるで2年半前の続きのような現場だ
さぞかし気を込めたことであろう
よくぞ よくぞ戻ってきてくれた
しかし よぅ
何も変わっちゃ いねえじゃねえか
そのまんまじゃあねえか
よくぞ 変わらずにいたじゃねえか
そのまんまでいいんだ
向かい合ってりゃいい
おれはそう思うよ
そうだろ
すごいよ
ありがとう
私は 彼に勇気をもらった
- 2017/06/18(日) 06:43:08|
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