fc2ブログ

庭潤日記

植木屋の日々の出来事

違和感


すごいものに出会った




違和感とは何か
和んでいない感じ。それぞれが揃っていない事

とても曖昧な感覚で、人によって、また時代によって随分と違うかもしれない。

例えば、私が小さい頃はプッシュフォン式電話や洋式便座は宜く無い様なことを
大人達が言っていたのを憶えている。
しかし今日この頃、和式便器やダイヤル式電話がビルのオフィスにあったら、きっと違和感がある事でしょう。

特急列車のグリーン席が満席園児だったら、どうだろうか
逆に幼稚園送迎バスが満席黒スーツ
真夏の海の家で芋煮会
書院造にベット
奈良公園にシンデレラ城
明治神宮表参道に建売戸建住宅

何だかおかしくなってきた

増上寺に東京タワー
こうなると微妙に変わってきます。

日本伝統による巨大木造建築と近代的巨大鉄骨建築、
これは本来なら、同じ景色の中で揃うはずもなく、全くの違和感でしょう。
しかし、ここは東京芝、
その為この違和感が、違和感でなくなり、
令和の時代に芝の価値を底上げしている様にさえ感じるのです。

昭和30年代のこの景色はどんな印象だったのだろうか。
もしかしたら違和感を感じたのかもしれない。

亀戸天神越しの圧倒的な巨大建造物東京スカイツリーはいかがなものでしょうか、
私は違和感を通り過ぎ恐怖心さへ感じてしまいます。

繰り返しますが、違和感とはその場の様々な環境、
また人それぞれの感じ方で、変わるものなのかもしれません。

昭和の時代、食事中のタバコは当然なものであり、
むしろ灰皿がない事が失礼にあたる場面もあったかもしれない、
しかし今
どこか遠くからタバコの匂いを感じても、
多くの人が強い違和感を感じることでしょう。

それが、
些細な違和感は刺激であり生きる楽しさに繋がっている様にも感じます。

机に向かって本を読んでいる時、ふっと米を炊く匂いを感じたらどうであろうか。

表を歩いている時、どこからともなくカレーの匂いを感じたらどうでああろうか。

電車の座席に座ってみると、少し向こうに様子の良い人が吊革につかまっていたらどうであろうか。


それは心が動く瞬間

別に違和感とは、悪い感情の事では無い、
その存在を指している、大小だけの事の様だ。

そしてその時の状態というのが、また大きく大切なことかもしれない。

何も無い壁がある
そこに邪魔をしない額が掛かる
その枠の中に絵が入っている

無である空間に絵画が入るのだ

そこに人は心を動かす

壁がうるさくては絵画は感じられない

そして絵が突飛していては強い違和感を感じる

モノを造り、演出する人間は、
そのバランスを追い求める





そして
私はとんでもないものに出会った

私自身の中から絶対に出せない取り合わせだ



私は、しばらくこの絶妙な違和感に心を奪われるであろう





























  1. 2020/09/30(水) 05:18:59|
  2. 探す|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)
  5. 編集

上州にて

うっそうと茂る山の中、
カラ沢と呼ばれている沢がある、利根川の支流である

まだ川石となったばかりの、角のある石がごろごろとして苔むしている。
沢の岩の上には水神様が奉られている
山奥へと続く橋のたもとには、すべての邪心をゆるさぬ ふんぬんで不動明王が山を背負い込んでいる

その道を山奧へと登って行くと、禅寺の空恵寺のかぶき門が現れ
急な石段を さらに登ると山門が見えてくる
本堂はさらに まだ先だ

水神様が奉られた所をしばらく道なりに下ると在所が見えてくる

カラ沢は山のずっと上から続いている

なんとも良い沢だ

古い山なのであろう

山の上の方に子持神社がある
あたりが開ける

右手に榛名山 左手に赤城山 
そして目を下にやると、まさに坂東太郎が 今 伸び立つところである

ここより坂東平野が始まるのか

この吹きっさらしていく野を、はるか昔 荒武者達が駆け巡っていたのか

思いはさらに進む

地を覆う土は、武蔵野育ちのものから見れば土とは言えない
火山砂利だ

その昔、この地で生き抜いていくことは、どれほどのことであったのか

現代人では計り知れない


ゆえか
この地の方言はきつい 
関東弁は 本来きつい言葉だと思うが、さらに言い切る 男前の言葉だ
関東弁の元を感じる

しかし 心は温かい
食べること 生きていくことの大切さ 力強さを、しみじみと教えていただく

この厳しい土地で薄情になりきれない紋次郎も生まれる訳だ

この度は、
ここで この地で、竹穂垣をつくらせていただく事となる
この生きる力に向かって行かなければならない

この地の物、手に届く物だけでつくる

また 新しい つくる重みをひしひしと感じる
ありがたい重みだ、必死に受け止めねばもったいない


2人の仲間と一差し一差し探していく

まがい物にならぬよう 探していく

蝉にさえ尋ねたくなる



終いに近づき 今さらながら気がつき始めることが出て来た

昔 言われた
「休むな やり続けろ 休むな」

本当だ
やり続けることによって、やっと見え始めてくる
分かっていたと思っていたことが、分かっていなかったことに

型を追っていて中身が見えていなかった

もちろん まだまだ、まだ何も分かっちゃいないが
何でもない、素の竹穂垣をつくる折をいただき、今までのことがつながり始めたんだ



要は どの型も、すべて同じ物だったのかも知れない
でどころは、きっと竹藪の柴垣

そうであろう

スッとした
そして また気を入れる  よし!

気がつけば ツクツクボウシが鳴いていた



この御縁のすべてにありがたく思う限りである

  ありがとうございます




























  1. 2015/08/12(水) 22:32:55|
  2. 探す|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント(-)
  5. 編集

おもしろいやつら

な〜んだか面白い奴らがやってきたっ!

面白い奴ら


  1. 2014/09/02(火) 20:06:04|
  2. 探す|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
  5. 編集

手放す

手放す 大切なもの

大切なものを 手放すと言う事は、並大抵な事ではない。

ありがちに考えれば 縛り付けておきたい。


そもそも おれは欲深い、米粒一つも人にあげたくないほどに。

しつけの出来ていない犬の様だ。


そんなおれに 大切なモノを手放す縁に恵まれた。

庭の材料だ。


十数年かけてコツコツと集めた 心のこもったもの。


なんでこんな事しなくてはならないんだろうか。

なんとか 手放さないようあがきまくった。


地方へ行った帰りに積んだ石材

現場ででた粘土

庭木の手入れのたびに集めて割った薪

現場のあまりの煉瓦クズ

いわゆる 名の通った石から、人の見向きもしないもの。

細かいモノから大きなもの あげれば数え切れないが、すべて覚えている

庭を造るにおいて使えないモノは何一つ無い


しかし それを持ち続ける縁は無かった、手放さざるを得ないようだ。


今年に入り コツコツと手放していった。

沢山のヒトに助けられて 沢山のありがたい やさしいご縁により、彼らは放れていった。


助けてくれた皆様 この度ご縁のあった方々、本当にありがとうございます。


コツコツと進めてきた この行いも後わずかになってきた。

なんだか どんどん楽になっていく。


おれは 何に執着していたんだろうか。


執着 七、八年前だったか一つの絵本を見た

般若心経の絵本 

その中に執着するなと書いてあった。

「えっ!何を言ってるの」

いかに執着するかにがんばっていた。

庭造り 材料 仕事。 集中集中、執着執着。

執着しなくて何が出来る。 そう思っていた。


今 その執着心を少し手放すときがやって来たようだ。


身軽になってきた

何かが見えそうな気がする、もちろんまだ全然見えないが。



そう  そもそも おれは何も持ってはいなかったんだ。


たまたま そこに彼らがいただけだ。


何が見えてくるんだろうか




本物が見えてほしい




















  1. 2013/03/06(水) 20:31:17|
  2. 探す|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:1
  5. 編集

'13.01.20 仏国寺






本堂の 素足で待ちし 老心梅










  1. 2013/01/27(日) 13:00:08|
  2. 探す|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
  5. 編集
次のページ