思い出す
鷹峯を歩いている、10上の先輩と二人だ。
京都の街中の建物とじゃっかん違う感じも受ける。
なんだろ 少し田舎っぽいのかなあ。安心する
緑が濃くクマゼミがやかましい
光悦寺を左手に見てさらに奧へ向かっている。
先ほど、西賀茂にある久保造園にお盆の挨拶をしてお昼をよばれて来たその後の事。
二人で何気なくてくてくと上ってきた、二年前の暑い夏の話しだ。
鷹峯の町が過ぎ、滑り止めのガタガタのある急な坂を下り、川沿いの鏡石通りをさらに奧へ行くと、土塀が見えてくる。屋根が杉の皮で葺いてあり何とも田舎っぽく、あたりの山の風情に溶け込んでいる。
その土塀を左に折れ橋を渡る
ここまで来ると、クマゼミも聞こえなくなる。
山のニオイ、針葉樹。川の音、砂利の色
京都の夏の涼しさがそこにある
それにしてもなつかしい
鷹峯の街も、土塀も橋も 山も何もあの頃と変わっていない。
二十歳の頃、先輩の真っ赤なホンダシティーにゆられ、よくこの道を通った。
川沿いの道をしばらく上ると、山がきれ平らなところが見えてくる。
原谷だ ひとの暮らしがそこにある。
今はないのだが、少し前までこの小さな町の真ん中に、昼は定食 晩は酔っ払いの常連さんで賑わう、良い店があった。
おれは、酒の飲み方をそこで覚えた。
店のおやっさん、ママ 常連のおっちゃん、おばちゃん、兄ちゃん達から、おれは末っ子としてとても可愛がってもらっていて、思い出したくもないような事を許されたり、叱られたり、笑ったり、泣いたり・・・
おやっさんもママも今は隠居して、サクラの枝の広がる平屋で暮らしている。
十何年ぶりに訪ねてみた、「こんにちわあ」
「おっ なんや なつかしい顔やなあ あがれあがれ 」
年は増していたけれど修羅場をくぐり抜けた胆のすわった感は変わっていない。
当時おやっさんは、毎晩一升酒だったけど、そんなに口数の多い方ではなかったが、今日は楽しそうにずっと話している。
畳の上に写真も広がり十九のおれもそこにいた。
しばらくして、
「ただいまあ」とママの声が聞こえた。
玄関に脱ぎ捨てたおれの下駄を見てか
「だれやあ」
「やっぱし ジュンやあ いやあぁ 来てくれたんかぁ」
「ママ・・・」
ママは疲れていたようで帰ってホッとしたかったような感じだったけど、手際よく酒と肴が次々と出てきた。
話しはさらに盛り上がる。
原谷の夕暮れ時はヒグラシの声がよく似合う
そうめんが出てきた。
うまい
「何もなくてゴメンなぁ。 たらんことないかぁ」
先輩が
「いゃ ようけよばれて 帰りますわぁ ごちそうさまです」
京都の絶妙な間がそこにあった
このお互いの心配り
夕闇のせまる中、名残惜しいが二人で葉の茂サクラの枝をくぐった。
原谷を出る頃 夜が来た
自分の手足も見えぬほどの闇が広がる、その中を御室に向かって山坂を下りていく。
実にここち良い時の過ぎる早さがそこにある。
人らしいはやさ
夜は夜でしかなく、夏は夏でしかない。
今 思い出す、
おやっさんのために とっておきの酒を吞む。
- 2012/03/23(金) 23:01:05|
- 何でもないこと|
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