いよいよ年の瀬が近づいてきた
我々 植木屋という職業もせわしさのまっただ中である
季節と共に生きている植木屋であるが、もうじき冬至が来る。
庭の中では、冬至から敷き松葉という冬化粧のしつらえをする事もある。
今まさに、敷き松葉の支度の最中だ。
松の葉は、近所でも集める事が出来るのであるが、今年は富士五湖の一つ、河口湖まで集めに行った。
葉性の良い松葉が 沢山集められ、帰りがけ富士吉田の浅間神社にお参りに行った
その時の話しである
浅間神社には何度か参った事があるが、この日も新鮮な気持ちでお参りしてきた。
大きな杉の木がうっそうとそびえて、由緒あるこの神社をよりいっそう引き立てている。
帰り道の参道、薄暗い杉木立のなか石灯籠が参道の両脇にずっと先、鳥居まで並んでいる。
参道の中腹まで来たとき、二かかえ 三かかえほどの岩にしめ縄がかかっていた
前にも見たような気がするが、今まで特に気にとめていなかったようだ。
札がかかっていた
立行石
説明の札も横にかかっている
ふ〜
(私の記憶による数値なので多少の間違いはあるかも知れないが、そこはたいしたことではない)
角行さん五八歳の時 この石の上で極寒の中、裸身で爪立ちになり、三十日間の修行をされたと
爪立ち・・・おそらく足の指を内側に曲げたつま先立ちの事ではないかと察する
なんとも。そのまま読み続けると。
一八歳で修行の道に入り 四寸五分角の角材の上で三十八日間爪立ちになりと
江戸初期のこと、三日で千人の民が亡くなる疫病を払った
主な行として百六歳で身が亡くなるまでの間だ
不眠の行 一万八千八百日
断食 三百日
立行 千数百日
富士登頂 百数十回
確実に人間離れ
いや 何なのか
この行の様とはどんなものだったのであろうか、
浅間神社のある富士吉田は 富士登山口で標高も高く、真冬はどこまで冷え切るのであろうか。
すごい気迫で行をしているのか
それとも人も獣も見落とすほどの石ころのようなほどに気を無としているのか、
まったく想像の付けようもない
わかった事は ひとつ
今 わたしの身の回りに降り注ぐ、すべての不平不満に感じる事は
私自身の甘え以外の何ものでもないという事だ。
角行さんの事を 信じる信じないは、人それぞれで良いと思う。
しかし思った
ああ 角行さんに会う為にここへやって来たのか と、
立行をしている 角行を目の当たりにした まさにそうだ、そうだった。
数日の間、しとしとと降り注いだ冷たい雨が上がった
今夜も雨で冷えた体を炭火で温めながら松葉をふるう
武蔵野の真黒く澄み切った夜空に、キンっとよく締まった白い月が浮かび
庭にうっすらと陰をつくっている
もうじき冬至だ
出来る事をやろう
- 2013/12/21(土) 00:33:04|
- 思い|
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