にわ というのは、ただ場であるようだ。
なので、取りつくろって意味など付ける必要はない。
建物が無くても にわは成り立つようだ。
そんなモノに出会えた
例えば 蹴鞠 舞 なんかがその様だ
大切な事は間のようだ
「ま」と呼んでも「あわい」と呼んでも良いかもしれない
現代人は欧米式の教育のおかげで、この間を取りにくくなっている
私もその中にいる
その間はこれと言って確かな目指す物であったり指揮者がいる訳でもなさそうだ
現代人には、あいまいで実に分かりにくい
それに拍子の取り方や動きも、テレビに出て来る物とは違う。
少し戸惑いがあるが、いやいや実に心地が良い物だ
血が感じるのであろう
10年ほど前のこと在来工法で木造の建物と庭をやっているときの話
家の前を人たちがたくさん通り過ぎていく
働き盛りの人たちは目もくれず駅を急ぐ
子ども達はちょろちょろと、その 場を歩いて行く
そして
「あーー、かっこいいーー、おれこんないえにすみたいなあ」
それが一人二人のかわりものの子だけと言う訳ではない
びっくりした。血で間を感じているのであろう
働き盛りの人たちは、意味のないことに意味を付け目標という物を持ってしまったので、
この 場にいなくなってしまっているが、意味を忘れれば
この間を心地良く感じるのであろう
血というモノはそう簡単には薄まらなそうである
子ども達が教えてくれた
せっかく生まれてきたんだ、この国にね
この 場で、間と言うヤツに慣れ親しんでいこうと思う
- 2016/03/14(月) 13:30:03|
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