職人について考えてみる
職人とはそもそも何であろうか
物を作る事で生業とする職業、手に職を持つ人
一概に言えば、そうと心得る方が多いのではないか
しかし そんな事ではないように感じる
昔 習いの時分に言われた
親方が「カラスの嘴は白い」と言えば若衆は「はい 白いです」と答えるものだと
今言えば、あまりにも非道徳な事であるが、それが職人道であった
そうでなければ成り立たなかったのである
その筋の中で生き、型を追い続けるのが職人であったように今になり感じる
永六輔が言うに、職人とは職業のことを言うのでなく生き方のこと
そうなのだ
親方の教え、先代からの言い伝えを守り続けていくのが職人であり
出来たモノで語り、そのモノこそが存在なのであろう
であるから自分自身に意味はなく、出来たモノに意味があると言うことだ
それ以外に説明はない
説明があるとすれば、そのモノを必要とする使い手の方がするのである。
「この家は200年前に建ったけど、何の歪みも出ない」
「うちに代々伝わるおせちの重箱は美しい。自慢の宝だ」
「この炭は火持がいいねえ」
「親方から譲り受けた鏝使うとよお、ネタが喜ぶんだぁ」
これは、左官屋さんが自分のことを自慢しているわけではなく、親方の道具を譲ってくれたこととそのコテを作った鍛冶屋さんの腕を自慢している様子だ
職人は本来自分の腕を語る暇などなく、作るのに徹し
また、語るなど野暮な話であったはずだ
その昔は、独立独歩で歩くことなど出来なかったと聞く
一人で仕事が取れるものでは無く、筋という信頼の中に生きる道があったのだろう
だから、余計なことを考える必要がなく ひたすらになれたはずだ
ひたすらに腕を磨き、出来栄えと速さが物語る
そして、その中でもさらに優れたものが、今も残っている
今はどうであろうか
考えれば語っている以上、もはや私は職人ではない
せっかく生きているのだ
その道を呼び起こしてみたい
そうだ 早くひたすらになりたい
- 2021/01/17(日) 14:48:18|
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