庭潤日記

植木屋の日々の出来事

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)
  5. 編集

一所懸命


職人として庭作り現場に入る

そう言う折をいただいた

職人として向かうからには、ひたすらに動く

とにかく早く的確にだ


勝負は朝飯から始まる

車への乗り込み、地下足袋を履くことも 当然だ

現場は戦いだ

スコップの扱いの早さ

三又の扱い

玉かけの的確さ

人よりも重い石を担ぐ

皆が必死で勝負する

一瞬でも怠れば、良い仕事は速い者に取られる


早う 美しゅせなあかん

こう 教わってきた

これが職人の世界だ


思いっきり働くことは、気持ちの良いことである

















  1. 2017/06/25(日) 13:06:33|
  2. 現場|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)
  5. 編集

よくぞ


あれから 2年半の月日が流れた



古来、ヒトは 心 という物を手に入れたのが、始まりなのかも知れない

数千年前なのか、はたまた数万年前なのか いつだかは知らないが

大きな心を持つ物が、村という物を造り、そして国を造っていく

そして その中には、たくさんの小さな心が生まれていく


心は 無いものを追い求め、またそこから逃げていく

人類は心と言う物と、ひたすらに もつれ争っているのかも知れない



がんばれば がんばるだけ、何かから逃げたくなる


私も、もちろん例外ではない


仕事の現場では、ねつこくがんばる

すると酒を飲む

酔えば 面倒なことは後回し

これでは良くないな

ある方に教わった

「一点集中 先延ばしは無し」

いやはや 逃げております



ある仕事の仲間がいる

弟のようなヤツだ

素直で、手先も器用 よく働く

難しい現場も快く働く

しかし

しかしである、幾分するとふっといなくなる

張りつまるのであろう


張りつまると、その場から逃げる癖を持っている


そう 

少年野球の厳しい練習から、ふっと立ち去るそれだ


そんなこんなでも良く働いてくれていたが

ある時、彼はふっと姿を消した

思うところがあるのだろうと、そっとしておいた

もう しばらくは姿を現さないだろうな


彼のすごいところは、自分の癖を知っている事だ

苦しいことから一度は逃げるが、ひとつ間を置くと、また挑んでいく


何に挑んでいくのかは、本人にも誰にも分からない

分かる必要もない


うわさを聞いた

随分と厳しくがんばっているなあ。


私は安心していた

何処だっていい 曲がっていたっていい

ヤツは自分に向かっているだろうから

それは わかる




ある時 ふっと縁の波を感じた

心が落ち着いてきたのかな




あれから 2年半の月日が流れた


ふと やって来た

まるで2年半前の続きのような現場だ

さぞかし気を込めたことであろう

よくぞ よくぞ戻ってきてくれた



しかし よぅ

何も変わっちゃ いねえじゃねえか

そのまんまじゃあねえか


よくぞ 変わらずにいたじゃねえか

そのまんまでいいんだ


向かい合ってりゃいい

おれはそう思うよ

そうだろ


すごいよ




ありがとう

私は 彼に勇気をもらった




















  1. 2017/06/18(日) 06:43:08|
  2. 思い|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)
  5. 編集

下地




真壁下地
















  1. 2017/06/01(木) 21:28:00|
  2. 現場|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)
  5. 編集

寸法

現場から寸法を追う

図面からバランスを追うのではない

その場の間から寸法を追っていく












真壁寸法










  1. 2017/05/09(火) 20:08:58|
  2. 現場|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)
  5. 編集

春も哀れかな

今 まさに萌葱の時

武蔵野に浮かぶ森の梢は、まさに まさに、その時である


二月の始め、立春を過ぎると、森は すこーしずつ、水をあげてくる

その梢は、少しずつ 少しずつ、日に日に、赤みをおびて太くなって行く

そして 今 全力で若葉を吹き始める

どんなに寒が戻ろうが、誰もこれを止めることは出来ない

喜ぼうが 惜しもうが 春を止めることは出来ない


これはこれで、なんと せつなく 哀れなことであろうか

秋の散りゆく木の葉だけではない




二十年ほど前のこと

旅先で一人の同世代アメリカ人と出会った

名前も顔も忘れてしまったが、なんともせつない目をしていたことは覚えている

その彼は私に「哀れとは何か」と言うようなことを英語で尋ねてきた

「哀れって言ったら、みっともないことじゃねえか」と私は日本語で応えた

すると 何やら写真を見せながら

「日本のこう言うような情緒が好きなんだ」

と言うようなことを また英語で語ってきた

その写真の事も、今 覚えていないが、散りゆく情景が映し出されていたような気がする

そして そこにいた数名でそのことについて語り合った




あれから 二十年ほどすぎた



そして この今 

この美しい春に この とりとめもない春に

わたしは 哀れびを感じている



















  1. 2017/04/11(火) 19:04:26|
  2. 思い|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)
  5. 編集
前のページ 次のページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。